フジマ

創業の精神

<創業の精神の制定について>

はじめに「創業の精神」の意義について説明したいと思います。
私達は、フジマグループという運命共同体の一員として本日も生活しています。
私は、縁あってこの会社の社員として集まって下さった皆さんに深い思いを抱いています。
日本に星の数ほどある会社の中で、当社の一員になって共に働いて頂けることに心から感謝したいと思います。

 「企業は人なり」とよく言われます。
私たちの会社は「鮮魚卸売業・美味しさにこだわった飲食業」ですが、商品力はもとより、社員一人一人の人間力と、
サービス力(おもてなしの心)がなければ、お客様に信頼していただくことはできません。

この「創業の精神」は、初代清一社長と私が会社を立ち上げて、今日に至るまで必死に努力を積み重ねてきた事業への思い・願望、
お客様への思い、働いてくれている皆さんへの思い、そして初代社長と私の生き様が投影されたものです。
皆さん全員が、この「創業の精神」を継承されることを切に望みます。

「経営理念」は、この「創業の精神」をベースにして構築されています。
また、これから策定する戦略や戦術(中期ビジョン・年度経営計画)も、すべてこれをベースに構築することになります。
当社の企業文化の根本にあるものが、この「創業の精神」に集約されているのです。

<美味しさと感動の精神>
■瀬戸内海の旬の魚を、最高においしく食べてほしい。

私の祖父は漁師でした。祖父が捕った魚を父が自転車で売り、祖母と母は天秤棒で行商をしていました。
昭和22年頃、父は「藤清丸」を造船し、沖合の漁船に寄せ、その場で値段交渉をして魚を買うことを始めました。
当時高校生だった私は、その魚を仲買に販売したり、高級魚を上送り(京阪神に送ること)する手伝いをしていました。
高校を卒業して、父の藤麻鮮魚店で働くうちに、魚の良し悪しがわかるようになってきました。
私は、鯛が10匹並んでいれば、どれが一番うまいかがわかります。
水槽で泳いでいる魚を見れば、どの魚が元気があるか、どの魚が明日死んでしまうかもわかります。
私が魚のおいしさを知ったのは、まだ小さい頃のことです。
祖父が、自ら開発したボラ網で夜中に寒ボラを獲り、大量に獲れると、私たちを起こして食べさせてくれました。
眠たかったけれど、そのおいしさは今でも忘れられません。
私が病気になると、元気をつけるために、大きなホゴメバルの煮付けを食べさせてくれました。
これもものすごくおいしかった。
その瀬戸内海の旬の魚のおいしさを、多くの人に伝えたいという気持ちが、私にはあります。
大畠瀬戸は潮の流れが速く、魚は頭も鱗も小さく、丸々肥えていて、どこよりもおいしい。
鯛・メバル・タナゴ・アイナメ・カレイ・タコ・イカ等、たくさんのおいしい魚がいるところなのです。
岩についている瀬戸貝は、ここでしか獲れない絶品です。
また、柳井湾も魚の宝庫です。ここで獲れる魚は日本一おいしい。
女房と結婚し、仕出し・給食・食堂の営業を始め、結婚式場の運営に発展していきました。
様々な飲食の店舗も展開してきましたが、「瀬戸内海の旬の魚をおいしく食べてほしい」というのが私の信念です。
フジマの原点は魚屋であり、魚の扱いに関しては「プロの目利き」を自負しています。
だから、うちの魚の鮮度は一番です。この日本一おいしい魚を、最高においしく、お客様に食べていただきたい、それが私の願いです。
これからの時代に生き残っていくには、魚を見分ける目と本物の食材を見分ける目を持つことが必要です。
おいしさの基本は、魚と食材の「プロの目利き」です。しっかりとプロの目を育ててください。

<やり甲斐・生き甲斐の精神>
■どこにも負けない、働くよろこびとやり甲斐にあふれた、元気のある会社をつくりたい。

私の父は、誰もが認める働き者でした。そして、私に対しては大変厳しい父でした。
柳井高校3年生のときは、朝5時頃たたき起こされ、船から魚を揚げる仕事をして、それから学校に行きました。
手に鱗がよくついていました。学校から帰ると、上送りの手伝い。大変な毎日でした。
しかし、このときの苦労があったから、魚の良し悪しがわかるようになりました。
そして、漁師さんとの駆け引きができるようになり、自分で買値が決められるようなると、私は、仕事が面白くてたまらなくなってきました。
一度面白さがわかってくると、仕事のやり甲斐がどんどん広がっていきます。
みなと会館を始めたときは、6畳一間に管理人として、家族5人で住み込みました。
朝は3時半に広島に魚を買いに出かけ、帰って、その魚と、漁師さんが水揚げした魚を競りにかける。
それから給食を配達し、昼からは食器の回収。
それが終わったら、帳簿をつけ、そして上関のハマチの養殖場に、エサをやりに行く。
てんてこ舞いの時間を過ごして、夜10時に帰ってくる。寝る間もないほど忙しく働きました。
でも、今思えば、苦労よりも、仕事が楽しくて楽しくてしようがありませんでした。
仕事は、積極的にやればやるほど面白くなります。
開店前に店をきれいにするのも、トイレを掃除するのも、一生懸命やればさわやかで、喜び・やり甲斐になってきます。
飾った花をお客様から「きれいだね」と言われれば、うれしいもんです。
自分の仕事が人のためになっていると実感できると、仕事が楽しくなり、自分の喜びになります。
一度この感じがつかめると、次から次へと仕事の面白さが広がっていきます。
これは、自分の経験から、自信を持って言えます。
皆さんも、言われたことをただこなすのではなく、自ら考え、工夫をし、お客様のためにとことん親身になって、動いてみてください。
そうすれば必ず働く喜び・やり甲斐を感じることができます。
みんなでやり甲斐を持って、協力し合い、どこにも負けない元気で活気のある会社をつくっていきましょう。

<改善改革の精神>
■現状に満足しないで、こだわりを持って改善・改革に取組み、お客様のご要望にお応えしたい。

うちの女房は、実家が魚屋をしながら仕出し屋さんを営んでいました。
それがきっかけで、フジマも、仕出し業をスタートしました。
女房の、料理に対する探求心は、人並み外れたものがありました。
例えば、一緒に食事に行くと、私に料理の写真を撮らせ、内容をメモ書きします。
参考になる食材や、装飾品などがあれば持って帰る。デパ地下の惣菜・折り詰め売り場にもよくつき合わされました。
東京での食博覧会やホテル・レストランショーにも行き、山ほどの、重いパンフレットを持って帰りました。
興味のある新しい厨房機器があれば、すぐに持ってきてもらって、実験をしたり、使っている現場や、機器の製造工場にも見に行ったりしました。
たくさん持っている料理の本の中から、いいものを見つけるとすぐに試作し、みんなに試食させ、商品化する。
さらに、自分でアレンジもする。人に味付けを教わりに行くこともたびたびありました。
お客様に提供しているメニューの大部分は、このようにしてできあがりました。
女房のこのこだわりがあったから、フジマはここまで大きくなれたのだと思います。
接客やサービスについても同じです。
どこまで、お客様に満足していただけるのか。どこまでお客様の目線で、接客・サービスができるのか。
そこにこだわりがなければ、お客様の信頼を得ることはできません。
一人一人が、自分の得意な分野で、とことんこだわって、改善・改革に取り組みましょう。

<感謝報恩の精神>
■自分をここまで育ててくれた社会にご恩返しがしたい。

私は、誰にも負けないくらい、人間関係を大事にしてきました。
名刺をいただいた方には、すぐに手紙を出します。
どうしたら相手に喜んでもらえるか、それをいつも考えて行動してきました。
おかげで、みんなから可愛がられ、たくさんの人とのご縁ができ、ご支援をいただきました。
むすびのふじま徳山工場を出すときは、日本飲食産業協会で知り合った静岡の天神屋さんの工場に、実習に行きました。
また、全国の同業者と情報交換し、多くのことを学ばさせていただきました。
これらが本当に役に立っています。
皆さんのおかげで私自身も成長し、会社も大きくなりました。その人たちへの感謝を忘れたことはありません。
私の好きな、松尾芭蕉の句に「よく見れば、なずな花咲く、垣根かな」というのがあります。
「人の目につかない垣根の隅で一生懸命咲いているぺんぺん草。いつものように通り過ぎると見落としてしまう。
人の善意に慣れっこになると大切なものに目が留まらない。
人生は、自分一人で歩いているわけではない。陰で支えてくれる多くの人がいる。そうした人への感謝と心配りが大切である」という意味です。
人との出会い、人からの何気ない一言で、大きく人生を変えてしまうことがあります。
高校を卒業して半年後、大学に行った友達に同窓会で「サンキュー」と言ったとき、「お前、それしか知らんのぅ」と言われました。
そのときはさげすまれたようで、腹が立って、情けない思いをしました。
怒り心頭でしたが、それをバネにして、いろんなことに必死になって挑戦しました。
それが自分の成長に大きくつながっています。
今思えば、友達の一言に感謝しています。
自分をここまで育ててくれた人、社会に、ご恩返しがしたい。
「人間の幸せとは、人のために尽くすことだ」と私は思っています。
だから、社員の皆さんも、熱い思いを持って、すべての人に尽くしてほしいと思います。

<自己実現の精神>
■フジマの社員として、躾のしっかりした、人に好かれる人間を育てたい。

私は、会社は人が中心、何よりも人が大事だと思っています。
だから、私の一番の仕事は、人づくりです。家庭で叱らない、学校で叱らない。
そういう子が会社に来るのだから、私は、社員を愛情を持って叱って、立派に育てる。それが与えられた使命だと思います。
人づくりの基本は躾。礼儀正しく、挨拶ができること。挨拶は、人の心を開くことです。
目上・目下にかかわらず、先に気がついた人から挨拶すればいいが、社員なら、私より大きな声で挨拶して欲しい。
しっかり挨拶でき、笑顔がさわやかで、行動がスピーディなら、人に好かれます。
そうした素直で優しい女性なら、お嫁さんにもらいたいと、みんなが思うでしょう。
男性なら、かっこいいと思われるに違いありません。
姿勢・身だしなみ・身の周りの整理・整頓、こういう基本的なところをおろそかにしないでください。
躾がきちんとできていなくては、きちんとした仕事はできません。
躾のしっかりした、人に好かれる人間、それがフジマの社員の姿です。

<人間愛・家族愛の精神>
■家族愛・夫婦愛・人間愛を大切にした生き方で、みんなに幸せになってほしい。

私は、小さいときから祖父母・父・母に可愛がられ、支えられ、時には優しく、時には厳しく育てられました。
特に、終戦前日、光海軍工廠が大空襲にあい、命からがら帰ってきたとき、
母や祖母が泣き叫んで喜んでくれたのを、今でも忘れることができません。
そのとき、肉親の情のありがたさを身にしみて感じました。
また、今の仕事は、女房と力を合わせ、支え合って、ようやくここまで来ることができました。
女房とは本当に、最強のタッグだったと思います。
初めて給食を配達するときは、お客様に温かいみそ汁を出したいと思い、鍋に入れて、三輪車(ダイハツミゼット)に積んで、
でこぼこ道をたっぷんたっぷんいわせながら運びました。こぼれないように二人で気の使い通しでした。
本当に大変でしたが、今となっては楽しい思い出です。
勉強も、二人で本当によくしました。下松の日立工場の見学をし、柳井の日立工場の社員食堂の参考にしました。
大阪の永大工場の食堂にも一緒に見学に行って、いろいろやり方を見て、運営の勉強をしました。
大阪ロイヤルホテルで開催された、ダイエーさんのおせちの勉強会にも参加しました。
これが今の我が社のおせち料理の原点になっています。
私は人使いと経営、女房がおいしい料理の担当と、二人で役割を分担して、一所懸命学びました。
一人で全部やろうと思ったらとてもムリでしたが、二人のチームワークがあったからこそできたのだと思います。
まさに夫婦愛の成果です。
全国各地で行われた日本飲食産業協会の勉強会にも参加しました。
勉強もしたし、二人でよく遊びもしました。本当に楽しかった。これが夫婦旅行を始めるきっかけにもなっています。
私は、社員を家族だと思っています。 そして、人として生きる基本は人間愛だと思います。
私は、フジマはどこよりも「家族的なぬくもり」のある会社だと思います。
今より発展して大きくなっても、基本の家族愛・夫婦愛・人間愛を大切にする会社を育てていきたいと思います。
誰一人分け隔てなく、平等で、みんなが本音で語り合える会社。
みんなが力を合わせて発展していく、活気のある会社をつくって、皆さん一人一人の幸せと豊かさを追求していきます。