フジマ

STORIES Vol.086~090

Vol.086

H様からの最後のプレゼント

さざん亭三次店 森永 孝之

先日、ラストオーダーに近い21時過ぎ、よくご来店して下さるH様がお見えになられました。
いつもはご夫婦かご家族でのご来店ですが、その日はご主人お一人でのご来店でした。
“夜遅いからかな”とあまり気にもならなかったのですが・・・。
ホールを歩く私をH様が呼びとめられ、こうおっしゃいました。
『店長、これからは一人で来るから・・・』と。一瞬頭の中には“?”が浮かびましたが、
差し障りの無いところで『奥様、ご病気ですか?』とお尋ねしました。
すると『亡くなったんだよ。』

ついこの間、元気な姿で食事されていた奥様の顔が頭に浮かんできました。 
いつもご夫婦で来店して頂いていました。
ご夫婦とも口数は少ないけど、いつも和やかな雰囲気が漂っていました。
大好きな生ビールと餃子、一緒に召し上がりたかったのになかなか餃子が焼けなくて、何度もお待たせしましたが、いつもにこやかに許して下さいました。
花火大会の日にお越しになった時には、『忙しいから、休んで見に行かれんね。頑張って。』と声を掛けて頂きました。雪の降る寒い日にも40分近くかけて来て下さいました。

考えてみると、大好きだったさざん亭の生ビールと餃子、もっともっとおいしく召し上がって頂く工夫をした事があったろうか。
1分でも1秒でも早くお持ちする努力をしたことがあったろうか。
優しかった奥様に甘え、少しくらい遅れてもいつも来て下さるからと考え、本来私が一生懸命にならなければならない、お客様を喜ばせる行動を、サービスをおろそかにしていました。

私達のいる外食産業は毎日が、出会いと別れの繰り返しです。
長いお付き合いになる出会いもあれば、その日限りになる出会いもあります。
今回のような悲しい別れに悔いを残さない為に、日々全力で、一人一人のお客様と向き合っていかなければと、改めて感じ反省させられました。
考え直す良いきっかけを悲しい事態とはなりましたが、H様の奥様にプレゼントして頂きました。

何だか落ち込んだ私でしたが、お帰りの際、
『奥様の分まで来てください。お好きなカツ丼召し上がって元気になって下さい。』
と声を掛けると、『大丈夫、一人でも来るから。今度は家族と来るから。』
と逆に励ましてもらってしまいました。
一日も早くH様にいつもの優しい笑顔が戻りますように。
そして、最後になりましたが奥様のご冥福を心からお祈り致します。

Vol.087

職場は人間道場

M.K

藤麻 一三 社長さま 
梅雨のズル休みとかでいい天気が続いておりますが、お変わりありませんか。
先日の『日帰りご招待旅行』に妻と娘が参加しました。
私は都合が悪く行けず送迎をさせられたのですが、送って行くと福田君が『のん太鮨』の幟を持ち、
男女二人の従業員がお客さまを迎えていました。
前回が余りにも無作為だった対応の記憶があってか今回は顧客に対するフジマの誠意を感じる事ができました。
また、出発前の、しどろもどろながらの従業員の挨拶には一層の感動を覚えたと妻が語っておりました。

会社として企画するものは、例え拡販であっても社是『愛』に立脚したものであること、企画毎の付加価値をどれだけ高められるか『知恵のある者は知恵をだし、知恵の無いものは汗をかく』古いようですが、どのように近代化されても社長から末端まで働くことの原点はこれではないでしょうか。
こうした自意識の結集が最終的に磐石な経営体質をつくると思います。

余談ですが、私は15歳で広島の佃煮、漬物屋に奉公に出されました。
その時、大奥様(スーパーバイザー)に徹底的に指導されたのは『仕事が終わったら必ずゴミ捨て場を調べろ』でした。
ゴミ捨て場と言っても、四斗樽を10個ぐらい並べたものです。
その中には佃煮の返品や野菜のクズ、刻み昆布の湿気った原料、カビの生えた刻みスルメの原料、虫のついたウズラ豆など従業員の判断で捨てられた物でした。

従業員の帰った後、最初は大奥様と二人で臭くて汚いゴミを漁って、何が捨ててあるのか、どんな捨て方をしているのか、どうしたら捨てなくてすんだのか、微にいり細にわたって指導されました。
まさに歩留管理、原価管理、在庫管理の原点を学んだと思います。

その後、新日本製鉄で学び、フジマで学ばせてもらいました。
私の知恵など知れたものですが書物を百編読んだものではありません。
従業員には仕事を通じて学ばせてあげてください。
職場は人間道場です。 平成17年6月15日 M.K

Vol.088

滝の汗と100万ドルの笑顔

                    ~任せた事が店の転機に

のん太鮨パセーラ店 清水 猛之

7/23~28日の丑の日まで、夏の大きなイベント、のん太鮨の「うなぎの1本押寿司」の売出しがありました。
私はオープンからの売上不振を打破する為、このイベントを活用し、お客様への店の認知度アップを目指すと共に、社員の意思統一を図ろうと思いました。
<目標数1000本!>を掲げて動き出しましたが、なんせ社員は山口県出身者ばかりで、広島は右も左も分からない見知らぬ大きな街・・・。
業者さんや坂井部長に、会社の紹介をお願いして時間をみて営業に回る程度の活動でした。

そんな中、パセーラのAさんに紹介してもらった白島にあるNTTのT様という方と中村君の出会いがありました。
滅茶苦茶暑い日、握り場で
『英(中村君)、俺の机の上にAさんに紹介してもらったNTTのTさんって方の電話番号があるから、うなぎを買ってもらうよう頼んでみろ!』
と言うと『はい!』と飛んで電話をしに行きました。
数分後鼻息荒く側に来て『今から行って来ます!』
時計は11時30分・・・
一瞬迷いましたが『行って来い!』と送り出しました。
ランチタイムも折り返し地点の頃、全身汗だくの英がぜぇぜぇ言いながら帰ってきました。
『店長、暑い!』
妙に説得力のある一言を言い放ち、額の滝の汗のまま握りに就いていました。

次の日オープン前にTさんから電話が入りました。
『昨日暑い中、中村君が汗だくで来てもらいました。彼はいいですねぇ~。
うなぎはともかくとして今日食べに行きますから・・・。』
とわざわざお電話を頂き、その日休みだった英にメールで連絡しました。

夕方に来られるというのに英は昼過ぎには来て、ソワソワしています。
約束通り夕方3名様で来られ、挨拶しに行くと
『彼の笑顔は100万ドルの笑顔ですよ。あの暑い中、汗だくの一生懸命な姿に僕は久し振りに心を打たれました。僕は彼の大ファンです!』
と嬉しい言葉を頂きました。

その後はみんな、営業にも製造にも力が入り、目標には達しなかったものの600本の押寿司を獲得・販売する事が出来ました。
最低でも600人の人にのん太鮨という名前を知ってもらえたと喜んでいます。

今、全ての事をプラスに捕らえ、日々挫けそうになるモチベーションをみんなで支えながら助け、認め合いながら頑張っています。
広島という地で、フジマの人達が胸を張って紹介出来る店を一日でも早く築いて見せます!グラッチェ!

Vol.089

女の子が嘔吐して・・・

さざん亭防府店 山田 忠伸

ゴールデンウィークも終日の5月7日(日)の昼のピークを迎えたときの事です。
仲良くご家族4人で来店されたお客様がありましたが、
その中の小学生の女のお子様が、気分が優れなかったのでしょう、
慌しく来店・退店が入り混じる入り口付近で、口を手で抑えて、前触れもなく嘔吐されました。

周囲も騒然、ご家族があわてて対処されようとしたその時、
すぐに気が付いたアルバイトのM.Sさんは、さっと新品のタオルを取ってすぐにお子様のもとに駆けつけ、
タオルで顔と手を拭きながら、嘔吐して泣いている女の子をトイレに連れて行きました。
そして泣きじゃくる女の子を優しくなだめて、別のタオルで女の子が床に撒いた残骸も、嫌な顔一つせずに綺麗に掃除しました。

その後、お客様を席にご案内しましたが、泣きつかれ一人だけ寒そうにしていた女の子を気に掛けて、Mさんはタオルケットを優しくかけてあげていました。
お食事が終わられて帰り際に、親御さんから再度お礼を言われたMさんは、お客様を最後まで笑顔で見送っていました。

店長や副長の指示を仰ぐのではなく、自分自身の高い気付きの心と感性で女の子に接したMさんはたいしたものだと感心しています。
将来、お母さんを目指しているMさん。
今の優しさと気付きの心があれば、必ず優秀な保母さんになれるよ!

Vol.090

おんぶおばさん

のん太鮨パセーラ店 清水 猛之

僕があの人に初めて出会ったのは今から15年前位だろう。
しかも最初の一言目が『あなた大きいわねぇ~おんぶして!』と普通に言われ、まだ若かった僕は『え?ハイ!』と言い、背中を向けた。
『おぉ~ほほ!おぉ~ほほ!』とあの人は叫び僕は固まった。
今まで生きてきて初対面でこういう経験は無く、身の回りにもこんな奇妙な人はおらず、それ以降「おんぶのオバちゃん」と呼んでいた。

それが奇遇なのかこうなる定めだったのか、あの人の下で働く事になりフジマの生活が始まった。
やはりバックヤードでは「おんぶおばさん」なんだが、客席に出ると凛としオーラが放たれた。
しかし何度と無く叱られ僕も若さ故に反発もかなりした。
仕事帰りに、あのしんどい坂を自転車で登り、家に寄ってビールや食事をご馳走に何度もなった。
初めてお邪魔した時はおじさんにびびって、飲んでも酔えなかった思い出もある。

さざん亭徳山店時代の思い出は、8月に1995万円を売り上げたことだ。
いつの間にか僕も副という役職が付き、ただひたすらにネタを切り、厨房を走り回っていた記憶しかない。
8月の31日のラストオーダーを、あの人と僕がお客様にお持ちする事になり、僕は白衣だったので断ったが、あの人は『いいから来なさい。』とピシャリと言われ、付いて行き深々とお客様に頭を下げた。
その後、あの人とこの1ヶ月の成果を共感し、ガッツリと握手した。
それから2人同時に思い出の多いさざん亭徳山店を後にした。

店長になり、今までと違う仕事内容と責任感で、慣れない日々を過ごし、良かれと思ってしたことが違う所で問題を起こし、逆にそれを見落としたり・・・。
そんな時あの人は現れる。
叱られる事も確かに多かったが、いつしか心の中であの人が来る事を待っていたのかも知れない。
笑顔で来て笑顔で帰る・・・。救われた事も多く沢山の愚痴も洩らしたろう。
でもそれが店長の特権みたいだった。
あの人は褒めるのは下手だったと思うけど、結構褒めてもらった。それも活力になった。 

窓に張り付いた蛙の親になったり、『いやぁはぁ~』が口癖で、
びっくりしたら『おかあちゃん!』と誰がいても叫ぶ。
会長・社長を芯から愛し、風物詩となった会議中の鶴崎部長とのバトル!
数え切れない社員やお客様に愛され、何処にいても声を掛けられるのに、平気でスッピンのままゴミを捨てに行く。

僕は店長としても「猛」としても心から感謝しています。
ありがとうございました。お疲れ様でした。家で好きな読書をしてゆっくりすごしてくださいね。