12日間で65万回
‘人’
新聞記事より抜粋
ラジオからアンパンマン
子供の笑顔で大人も元気
日本テレビ系で放送中のアニメ「それいけ!アンパンマン」の主題歌が震災で傷ついた人々を勇気づけている。放送するラジオ局が相次ぎ、多くの反響が寄せられた。子どもたちだけでなく、その歌詞は大人たちの心も揺さぶっている。
NHKラジオ第1で平日午後放送の「つながるラジオ」に、香川県の30代女性のメールが届いたのは14日夕。姉妹デュオ「ドリーミング」が歌う「アンパンマンのマーチ」を流してほしいという内容だった。「避難所の子どもたちに大好きな曲を届けてあげて下さい。子どもの笑顔は大人たちの元気になります」
胸を打つのはこんなフレーズだ。
そうだ うれしいんだ
生きる よろこび
たとえ 胸の傷がいたんでも
なんのために 生まれて
なにをして 生きるのか
こたえられない なんて
そんなのは いやだ!
この度の東日本巨大地震で被災された皆さん、そしてその関係者の皆さんに心からお見舞い申し上げます。現実とはとても信じられない光景をテレビ報道で見て、自然の怖さにただただ驚かされるだけで何も出来ない自分が情けなくなります。
そんな中、フジマグループとしても社員さんから毛布、タオルケット、タオル等の支援物資を集めて、海上自衛隊岩国基地から被災地へお届けしました。またお店でもお客様から義援金を募り、社員さんの給与の下二桁をボランティア活動の為に積み立てている基金と一緒に日本赤十字に早々に寄付する予定です。
各地で被災地支援が活発に行われています。支援はまだまだ長期化します。国・行政関係を始め、企業・ボランティア団体からの支援はもちろんのこと、私たち個人としても出来る限りの支援をしていきましょう。日本人としてのおもいやりの心を持って
お客様より下記のお手紙をいただきました(^_^)
平成11年2月24日 週刊新潮『結婚』より抜粋
柳井市「井原健太郎市長」が愛を確かめた「回転寿司」デート
山口県柳井市の庭園「やまぐちフラワーランド」で1月15日、600人を集めた人前結婚式が催された。花台車に乗って登場した新郎は柳井市の井原健太郎市長。新婦は看護婦の志熊(旧姓)耐子さんである。
「柳井市職員の友人から、彼女を紹介してもらい、友人も含め6人で食事会を開いたのです。彼女は笑顔が素敵な女性でした」
食事会の後、二人は月に1度の割合で食事に。「市内で会うとすぐ噂になりますから、市外で会いました。柳井市の経済のため、地元の方が経営している防府市の回転寿司チェーン店に車で1時間半かけて何度も通いました」
「彼女は剣道4段の腕前です。僕は弓道をやっていますが、接近戦では彼女にかないません」夏に、第一子が誕生する。
防府市の回転寿司⇒弊社『のん太鮨防府店』
お二人の縁結びが出来て嬉しいですね(^_^)
井原市長、耐ちゃん、お幸せに
2月10日 『もみじ楽々園店』OPENの日
宿泊していた広島サンプラザホテルで廿日市市倫理法人会のモーニングセミナーが6:00からたまたまあったので、これも何かの『縁』と思い、5:30の役員朝礼から参加させていただきました(^_^)
出席者は少なかったのですが、皆さん大きな声で挨拶・輪読をされ、活気のあるモーニングセミナーでした
その後、廿日市市倫理法人会の皆さんと奇妙なご縁がありました。
尾形さんとのご縁・・・廿日市倫理法人会会長 当日の昼過ぎから開催された中四国方面会で一緒の分科会 後日分かったのですが、弊社を古くからご利用いただいていました『感動の花一輪集』送付のお礼にこんなメッセージがありました。「さざん亭の事でお聞きします。徳山店の前はプレハブのうどん屋さんがありました。女性のオーナーか店長さんがいました。さざん亭に変ってもおられました。それから柳井店に行った時もレジにおられました。 何か関係のある人だったのかなと思いまして・・・ うどん屋さんの時、キムチうどんを作ったと言われよく食べました。ずいぶん昔のことです。とても愛想の良い女性でしたのでよく覚えています。」
○プレハブのうどん屋さん⇒めんつる亭周南店
○女性のオーナーか店長さん⇒竹内千恵子店長。後にサービストレーナー。花一輪運動の推進役として『感動の花一輪集』にも度々登場
陣場さんとのご縁・・・2月18日女房が広島から帰る際電車で偶然お会いする井ノ口から乗ったご老人と隣り合わせなり、名刺を探されていましたが見れば倫理のマークの名刺が何枚あったそうです。「倫理をされているんですか?」と女房が話しかけると、その方が陣場さんでした花一輪を送ってもらい、礼状を出そうと思っていらっしゃったとの事
どちらも奇妙な縁に驚きました
でも何よりも廿日市市倫理法人会のモーニングセミナーに出たおかげで『もみじ楽々園店』が好調にスタートを切ることができました(^_-)-☆
感謝です
さざん亭徳山店の夜のメニューが12月15日より大幅に変更になりました
旬の味を楽しめる和食店として大きく方向転換☆それも50数品の中からお好みを自分で選べるセットメニューが主体(^_^)
是非ご来店の上ご意見をお聞かせください♪
鶴崎部長、有吉MG、石田店長が慣れないメニューの仕込みに追われていました(+_+)
そんな中、綺麗な振袖姿の女性がご来店何と何と有吉MGの娘さん成人式の前撮りを終えて、お父さんに見せに来られたのです
全く似てなくて可愛い◇・・・きっとお母さんに似たのでしょう(^_-)-☆
黙々と仕事をしていた有吉MGの顔が一変してデレ~デレ~!
仕事中はいつも凛々しいMGが見せた、一時の親の顔(^ム^)
本当に嬉しそうでした
鼻の下を長くした真面目なお父さんぶり、どうぞご覧下さい(@^^)/~~~
12月9日、長崎市のモーニングセミナー終了後、♪長崎からバスに乗って佐世保に着いた♪
青年会議所当時、それもはるか昔
1986年柳井JCから小野悟先輩が日本JCの経営開発委員会の第3小委員長として出向した際、私もセクレタリーとして出向その時ご一緒した遠田公夫先輩を訪ねて佐世保に行きました
電話では何度かお話ししましたが、ハウステンボスへ社員旅行に行った時会って以来、もう15年以上も経っています
25年の積もる話もさることながら、まずはお互い現状報告
その当時と仕事、家庭も大きく様変わり当然ではありますが・・・
その後アメリカ海軍佐世保基地で昼食
私はハムチーズサンドを食べましたが、これが絶品パンの焼き具合といい、ハムの柔らかさといい、今までこれほどうまいハムチーズサンドは食べたことが無い(^^♪
「日本一元気な商店街」と自慢の佐世保のまちづくりは、またゆっくり見学に来たいと思います!
短い時間でしたが、久々の再会に感激(^_-)-☆
羽越本線から陸羽西線に余目(あまりめ)駅で乗換えのため下車し、1分後に発車するはずの列車を待っているが、なかなか来ないなんと酒田から乗ってきた列車がそのまま陸羽西線となるそうで、すでに発車して『あとの祭り』その上、次の列車まで2時間、余目駅前は何もない処(>_<)
JRは何でもっと説明してくれないのか!旅行社は何で余目駅の乗換え表示をしたのか!自分自身何でもっと早く気づかなかったのか!かなりイラつく
しかし、そこでふっと我に返り”今日はもともと時間に余裕があったので、余目でちょっと休息するようになっていたんだ 『これがよい!』”と考え直し(かなり人間が出来てきた???)、駅員さんに時間つぶしに見学する場所を伺い地図を片手に探索
最初に行った「耐雪書道美術館」は残念ながら休館日 次のスポット「内藤秀因水彩画記念館」に向っていると、天守閣のような建物が・・・何か分からず、職員らしきおばさんに尋ねると、「JA庄内たがわ 新余目支所」で「アクア庄内 スイスイ 健康スイミング」が併設されているとのこと♪親切にそのおばさんは店内を案内して下さいました(^_^)6階は倉庫、3~5階は会議室・結婚式場・写場、2階は1000名収容できる大ホール 良い人に出会いました
結構時間が経過、また遅れると2時間待ちになるので早めに駅に向う
すると「香林塔」と言うドームのカフェレストランがあり、更に進むと、NTT余目電話交換局のちょっとユニークなアンテナが・・・
そして最後は駅で美味しい「お米ソフトクリーム」と店員さんのソフトな会話
余目に下車したおかげで東北の人と景色の再発見が出来ました(^_^)/~
『これがよい』 魔法の言葉ですね!
本日をもちまして、1969年(昭和44年)11月17日から41年間お世話になりました「永大産業社員食堂」の営業を取りやめました
(写真は永大食堂の社員&会長&常務&妻&私IN社内大会)
私が中学生になった頃から営業を始め、現存するフジマグループの店舗の中で最も古いお店でした
会長が今朝「永大食堂のうどんは美味いから、最後に食べよう!」と言って出かけましたが、父と母に取りましては、苦労も多くありましたが、思いで多きお店です
寂しいですね^^;
今までお世話になりました永大産業の皆様方!ありがとうございました
そして、今日まで頑張っていただいた木村店長を始め社員の皆様方に心から感謝申し上げます
ありがとうございました